核兵器廃絶の締結を求めよう
猛暑の8月4日〜6日、広島県立総合体育館グリーンアリーナが会場でした。26カ国から89名(政府、国際機関NGO等)、全国から4、500名が参加。日本原水爆被害者団体協議会代表委員の岩佐幹三さんの挨拶に引き続き、弁護士や市民連合、安保関連法に反対するママの会が挨拶、元国連軍縮担当上級代表セルジオ・ドウアルテさんは「被爆地ヒロシマから世界へ、核兵器のない平和で公正な世界のために国内外の闘いに非核平和を、憲法9条輝く日本は草の根から共同でオールジャパンを広げよう」と熱く語りました。また日本の北から南から広島に向けて平和を訴えてきた国民平和大行進も到着しました。 6日の閉会総会の中での『ヒロシマデー集会』では5、000名以上が参加。新国連軍縮担当上級代表のキム・ウオンスさんが「被爆71年。当時15歳の学徒動員の松本ヒデコさんはあの日、オレンジ色の光で机の下に隠れ、沢山のガラスの破片を受けました。広島市京橋川にかかる御幸橋は地獄。松本さんは自宅まで帰れず親戚の小母さん宅で一泊。翌日、原爆投下前は繁華街であった広島市材木町(現、広島市中区中島町)は一面焼野原に。松本さんの姉17歳・妹13歳・弟12歳・母親は焼死体でした。43歳の父親は髪や歯上骨がなくなりましたが救護に回りました。戦後、父親と島根で暮らしましたが、58歳のとき胃ガンで亡くなりました」などの発言がありました。 世界に核兵器の数は今なお15、000発以上とも言われます。核兵器を禁止し廃絶する条約を結ぶことを全ての国に求めます。
中央支部 岩切八重子
原水爆大会に多くの人が参加して
今年は新入職員を合わせ合計9名で参加してきました。開会総会で諸外国の来賓からの発言があり、『世界大会』であることに改めて感動しました。同時に、核兵器の廃絶を願っている団体が世界にこんなにたくさんあるのだということを純粋にうれしく思いました。どの団体の代表者からも、オバマ大統領の広島訪問に触れた発言がありましたが、一方でオバマ大統領が広島に滞在した時間は岩国基地に滞在した時間よりも短かかったという事実を知りました。 2日目の分科会では『核兵器と原発』の分科会に参加しました。福島原発の2号機を再稼働させようとする動きがあるとの報告が、また東京都心部の六本木にも米軍基地があり、しかしあまり公にされておらず、地図にも基地とは書いてないという報告もありました。ふだんマスコミで情報を得ているつもりでも不充分なのだと改めて分かりました。原水禁世界大会は行ってみて、参加して初めて出会う真実がたくさんあります。
宮崎民医連事務局 石川知恵美
核廃絶を競う国をめざして
2016年8月4日〜8月6日にかけて開催された原水禁2016年世界大会-広島に宮崎医療生協を代表して宮崎生協病院職員7人、組合員2人合計9名が参加しました。広島に原子爆弾が投下されて71年、今なおアメリカ、ロシアを初めとした世界9カ国が合計1万5400発の核弾頭を所有、核開発を進め、人類、地球の安全とは全く異なる動きが続いている中、核兵器の廃絶、核兵器のない世界への扉を開こうと意志を一つに、これ程の多くの人達が大会に集っている姿は、とても素晴らしいものでした。8月5日には「核兵器と原発」の分科会に参加させていただきました。物理学者でチェルノブイリ原発事故以降、原子炉の与える影響について研究、反原発の活動に取り組んでおられるロシアのオレンさんの「原子炉の廃炉には経済的には約1000億円が必要であり、30〜100年の歳月が必要である」という発言を聞き、未来の世代に放射能の影響を与えないため、原発の経済的、組織的負担を残さないために、長期的な廃炉の計画を入念に立てること、また、廃炉にあたって、使用済核燃料の対処を初めとして、廃炉後の原発勤務労働者のサポートなど、広範囲に渉った問題を解決する必要があると感じました。最後になりますが、分科会でのお言葉をお借りし、これから「医療、教育、経済を競うように、核廃絶を競うような国」を日本国民として目指していきたいと思います。ありがとうございました。
宮崎生協病院初期研修医 堀 竜太